源氏物語
年紀
(終焉の舞台)
「式部日記」によると、1008(寛弘5年)源氏物語が存在することを示す記述があった。つまり、今年は「源氏物語」千年紀。
この度は国府(武生)エリヤを中心に紫式部ゆかりにスポットや、散策にお役立ちの立ちどころを紹介しましょう。

人もうらやむ容姿でありながら、どこか愛に飢えた人生を送った光源氏。
最愛の妻・紫の上を亡くしてからは、現世に未練もなくなり、多くの姫君達と重ねた逢瀬も、今となっては過去のこと。出家の道を求め一人嵯峨野で隠棲した。
光源氏のモデルとされる源融(ミナモトノトオル)は、嵯峨野に山荘を有していたと伝わる。それが現在の「清涼寺」。紫式部は、ここと嵯峨野御所と呼ばれた「大覚寺」を光源氏の終焉(シュウエン)の地とイメージしながら、第一部を完結に導いている。
嵯峨野は、風光明媚(フウコウメイビ)な山紫水明の地とうたわれながらも、古くから、恋に破れ人の世に疲れた者が身を寄せる場所でもあった。
光源氏の激しい想いから精霊にまでなった六条御息所(ロクジョウノミヤスドコロ)もその一人。
叶わぬ思いに苦しんだ末、娘と共に伊勢へ下ると決め、その年の秋「野宮神社」で気持ちを静めていた。光源氏は六条御息所の情念の強さに煙たく思った時もあったが、もう逢えないとなるとさすがに名残惜しい。最後に一目逢おうと嵯峨野に向かう。光源氏の来訪に御息所の心は揺らぐ。
「賢木」(サカキ)の巻きは、辛い大人の別れが描かれている。竹の葉擦れの音が物悲しさに拍車をかける。
東にある「仁和寺」は、病気がちの朱雀が隠棲した西山なる御寺として物語に登場する。朱雀院は、娘の女三の宮の面倒を光源氏に託し、このことが紫の上の心に影を落とした。
「いにしえの奈良の都の八重桜けふ九重にほひぬるかな」
☆紫式部公園は、源氏物語の作者・紫式部を偲んで造られた福井県越前市東千福にある寝殿造庭園の公園
☆交通アクセス・JR北陸本線武生駅下車⇒福井鉄道バス『式部公園口下車』歩行すぐ
2008 /09/15記